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vol.28 2021,spring for Supporters Newsletter

グリーンピース
ニュースレター
2021年・春号

事故発生からの10年

事故発生からの10年

2018年10月、福島県で避難指示が解除された地域の小学校。

事故発生からの10年

2011年3月、飯舘村での放射能調査。

2011年3月、飯舘村での放射能調査。

黄色いぼたん雪のようなものが降ってきた 春先といってもまだ寒かったあの日から、まもなく10年になります。
2011年3月11日、大地震が起きて、津波がやってきて、そして東京電力福島第一原発は全電源喪失に陥りました。
原発は電気がなければ核燃料を冷却することができません。原子炉内部の核燃料棒が高温になり水素が大量に発生し建屋が爆発、大量の放射性物質が大気中に拡散しました。
当時双葉町にお住まいだった方は「ズンという音がして、空から黄色いぼたん雪のようなものが降ってきた。
ああ日本も終わりだと思った」と、のちに語っています。
あのとき起きた事故は、いまも続いています。
内閣府が発令した原子力緊急事態宣言も、解除されていません。

事故直後から始まった放射能調査 グリーンピースが福島で最初の調査に入ったのは3月26日です。ベルギー・オランダ・イギリスなど国内外から経験豊かな専門家が集まり、飯舘村など、事故当日の原発の風下にあたる地域の大気中の放射線量を2日間かけて測定しました。その結果、原発から約40km離れた地点でも高レベルの放射線量を検知。当時政府が指定した30km圏だけでなく、科学的データに基づいた避難地域設定と、子どもと妊婦の優先避難、地域住民への情報開示と支援が必要であることがわかり、国に要請しました。
その後2011年だけで4月、5月、7月、8月、9月、10月にも調査を実施。福島県以外にも宮城県や千葉県、茨城県など各地で土壌や海水、野菜、海産物などの放射線量を調査しました。同時に被害に遭われた方々への聞き取りも行いました。

左上:2011年3月、津波と原発事故の被災者が収容されていた山形県米沢市の避難所。左下:2020年11月、浪江町での放射能調査。中央上:2011年3月、飯舘村での放射能調査。中央下左:2011年4月、福島沖での海水調査。中央下右:2011年4月、2度目の放射能調査の結果を伝える記者会見。右上:2011年6月、原発から自然エネルギーへの転換を呼びかけるエネルギーシフトパレード。右中:2017年、避難指示が解除された飯舘村の屋内での放射能調査。右下:2011年8月に調査した福島市内の保育園。保育園そのものの線量は除染によって低くなっていたが、周辺の多くの地域が除染されていなかった。

10年でわかったこと こうして続けた調査活動は、全国各地の外食店舗や市販されている食品の調査も含めて、10年で40回をこえました。2011年11月には大手スーパーマーケットのイオンが店頭での放射性物質“ゼロ”を宣言。2013年には政府が設置したモニタリングポストの表示している値が周辺より明らかに低いことが発覚、直後に改修が決定されたこともありました。

長期間にわたる調査で、さまざまなことがわかりました。拡散された放射性物質が地下水や川、植物など生態系内を循環してゆっくりと環境を汚染し続けることや、避難指示が解除された地域でも、除染が終わっていても安全に暮らすことはできないほど放射線量が高い場所があること、一度除染しても、福島県の7割を占める山林に堆積した放射性物質が風雨に運ばれて再汚染が起こることも…。

調査で判明した事実をもとに、グリーンピースは政府と電力会社、国際社会に対して、取り返しのつかない事故を起こす原発をやめ、環境負荷の低い自然エネルギーに転換することや、事故の被害に遭った方々への十分な補償と支援を訴えてきました。
各地の原発の避難計画の不備や、地震や津波だけでなく火山の噴火でも原発事故の危険性があること、日本を含め、世界各地の原発の日本製の部品に強度不足があることも告発しました。

このような活動はすべて、グリーンピースを信頼し、支持してくださったサポーターの皆さまのご協力で実現したものです。改めて心より感謝申し上げます。ありがとうございます。

原発をやめない限り、電気のためにどこかで誰かが危険にさらされる世界は終わりません。誰もが安心して暮らせる社会を築くために、グリーンピースの活動はこれからも続きます。

まだ「3月10日」を生きているあなたへ菅野みずえさん
(福島県浪江町から避難中)

グリーンピースの放射能調査に協力してくださっている菅野さん。2017年9月、浪江町津島地区にて。

菅野さんが津島地区の自宅から避難したのは3月15日。避難の途中、郡山市で菅野さんはスクリーニング検査を受けている。
「測定器を私の上着と髪に当てたとき、パタンと針が振り切れ、10万cpm*という値が見えました。それが何を意味するのか、知るのはずっと後になってからでした」
2016年、甲状腺がんを発症したが、記録がないため、初期被ばくとの因果関係について突きとめられないままでいる。

何も知らされなかったのは住民だけ。政府の危機管理シミュレーション・システムSPEEDIにより、高濃度の放射性物質を含む放射能雲(プルーム)が津島方面に流れることは事前に察知されていた。県はその拡散予測を把握していたにもかかわらず浪江町に伝えなかったことが、事故から2カ月後に報じられた。

いっしょに避難した愛犬マツコは、仮設住宅に入居して8カ月経った冬のある日、血小板減少症で臓器中から出血して命を落とした。「獣医さんに被ばくが原因ではないか?と尋ねたんです。すると『人間に対するデータもないのに、動物に対するものはあるわけがない』と」。
菅野さんは「いま自分たちはモルモット以下なのだ」と感じた。モルモットは実験台でも調査・分析に使われるが、私たちは調べてももらえない。調べなければ、なかったことにできるから…。

体験を語る報告会や、原発立地自治体の避難計画の不備を指摘し、再稼働反対を訴える活動も積極的に行っている。
「原発がある限り、私の身に起こったことは、いつかあなたの、誰かのことになります。私は〈3月10日〉を踏み越えてしまった今を生きているけれど、あなた方はまだ〈3月10日〉の分岐点にいる。これ以上、子どもたち・若い世代に重荷を背負わせない方角はどっちか、大人たちがどうか考えてください」

*cpm:測定器で1分間に計測された放射線の数そのものを表す。衣服や体の表面に付着した放射性物質を測る測定器(ガイガーカウンター等)で使用される単位。当時の「福島県緊急被ばく医療活動マニュアル」では「避難時の検査で13,000cpm以上の人たちは、甲状腺検査を受け、安定ヨウ素剤を服用する」とされていた。

消えた我が家安齋 徹さん
(福島県飯舘村から伊達市に移住)

グリーンピースの放射能調査に協力してくださっている安齋さん。
2017年10月、取り壊す前のご自宅で。

10年前のあの日。幸い安齋さんの家は地震による被害はほとんど受けなかった。
ところが3日後、自宅のテレビで地震のニュースを見ていると、東電福島第一原発3号機で爆発が起きた。
飯舘村は飛散してきた放射性物質の影響を激しく被るが、その事実がわかるのは数日後。村外に避難したのは原発事故から3カ月以上たった6月末だった。以降、6年間にわたって全村避難を強いられた。

生まれてからずっと一家で暮らした自宅は、長らく無人だったために老朽化が著しく、2018年11月にやむなく取り壊した。
「たくさん思い出があるので、できることなら残したかったけどね。でも、定期的に雑草を刈らなければならなかったり、イノシシやサルなどの動物に荒らされたりして、もうどうにもならなかった」
決して大きな家ではなかったが、家族と過ごした慎ましくも穏やかな生活があった。今は、台所のすぐ外にあった小さな南天の木が一本だけ、空き地の真ん中にぽつんと取り残されている。

避難生活が始まったときは、まさか自宅で再び暮らすことができなくなるとは夢にも思っていなかった。南部の帰還困難区域を除いて避難指示は解除されたが、安齋さんのように原発事故前の暮らしに戻れない村民がほとんどだ。

あの原発事故によって、60年以上続いた平穏な生活が一瞬にして変わった。その変化にもがき続けた10年間だった。
「本当にあの事故から10年も経ったんだろうか。そんな実感はまったくない。放射線量が高いところはたくさん残っているし、そうした地域に住民を返すという政府の判断はまだまだ早すぎると思います。問題が残ったまま住民の帰還を進めるのは、とても無責任なことです」

今も残る帰還困難区域、道路に設けられたスクリーニングポイント、あちこちに積みあげられた放射能汚染土のフレコンバッグ、その汚染土を運び続ける多くのトラック、いまだにふるさとに戻ることのできない住民たち─「これが福島の現実だ」と安齋さんは言う。
安齋さんにとっては、事故はいま現在も続いている。

特設サイトで
インタビューの全文と
10年間の
あゆみをご覧ください

わたしたちのエネルギーと
北極の関係

危機にさらされる北極圏の生態系 シベリアやアラスカ、グリーンランド、アイスランドや北欧など、長い歴史を持つ先住民が住み、ホッキョクグマやホッキョクギツネ、トナカイ、セイウチ、イッカク、ベルーガ(シロイルカ)といった希少な生きものたちが暮らす、北極圏。
その北極に、グリーンピースは定期的に活動船を派遣、世界中の科学者たちといっしょに海氷の状態を詳しく調べる活動をしています。その間に北極を覆っている海氷は面積も厚さも、過去数十年にわたって一貫して縮小していることがわかっています。
原因は気候変動による地球温暖化。
北極では、他の地域の倍のスピードで温暖化が進行しています。北極海の海氷はこれまで以上に早く、広範囲にわたって溶けており、2017年8月の氷の量は観測以来最大だった1979年の8月の氷の量を70%も下回りました。冬に再び凍る海氷も、少なくなっています。

このままでは、2030年代には北極にまったく氷がない夏が到来する可能性さえ指摘されています。そうなれば、この地域の生態系が大きく破壊されてしまうかもしれません。たとえば、一生のほとんどを海氷の上で過ごすホッキョクグマは、餌を獲る場所も子育てをする場所も失うことになります。

生態系をまもるために一人ひとりにできることから行動を始める 2015年、大手石油会社シェルの北極海での石油・ガス探査活動をやめさせるために、世界で700万人もの方がグリーンピースの署名に参加してくださいました。
ありがとうございました。

豊かな生態系をまもるために、いまわたしたちができることは、エネルギーを変えることです。
北極をはじめとして世界中の生態系を脅かす気候変動によって、豪雪や大雨、巨大台風や熱波、旱魃といった異常気象で、私たち自身の生活も危機にさらされています。

この気候変動をくいとめるためには、二酸化炭素をはじめとする温室効果ガスの排出量を大きく削減することが先決。昨年、菅義偉総理大臣が2050年までに温室効果ガス排出を実質ゼロにする方針を示しましたが、方針だけではほんとうに気候変動をくいとめることはできません。私たち市民の力が重要です。
一人ひとりにできることから、地域で行動を始めた人がいます。

自分の街で気候変動対策を加速させる草の根活動 有志メンバーによる「ゼロエミッション港を目指す会」のはたらきかけで、東京都港区で2020年12月、港区議会本会議が2050年までにCO2の排出を実質ゼロ=ゼロエミッションにすることをめざす請願を採択しました。
多くの企業や商業施設が集まり、都内で最も温室効果ガスを出す港区がゼロエミッションをめざすことは、東京都全体にも大きな影響を与えることが期待できます。
中心メンバーの一人・江澤孝太朗さんにお話を伺いました。

「ゼロエミッション港を目指す会」が立ち上がったのは、2020年9月。
Facebookグループなどオンラインで繋がって、定期的なチェックインやミーティングを行って連携し、さまざまなアプローチで活動をしています。
港区の環境課に区の気候変動対策についてヒアリングしたり、区議会議員に世界や他の自治体の動きについて情報提供をしたり、風力発電所へ区議会議員といっしょに見学に行ったり。

そして、2050年までに区のCO2排出を実質ゼロにする=ゼロカーボンシティ宣言をすること、2030年までにCO2の排出を2013年比で52%削減し、具体的な施策を進めることを求める2つの請願書を出しました。
この会の活動は、誰かがはじめに計画していたわけではありません。チームで話し合って、何ができそうかアイデアを持ち寄って、それぞれの時間の許す範囲で協力し合って進めてきました。
最初は自治体レベルでどうやって意思決定がされているのか、どう動くべきかもイメージが湧きませんでしたが、今では、港区での意思決定がどういう人に、どんなプロセスで、どんなタイミングでなされるのか、わかるようになってきました。

気候変動を止めたいと思っている人は全員、こういうローカルの活動に参加したほうがいい!と思っています。
活動していて面白いのは、議員や区からちゃんとフィードバックをもらえるということ。一人ひとりの区民や有権者からの声に耳をかたむけてくれる。区の変化は都につながるし、*都の変化は国の変化につながります。最終的には、世界全体が変わっていくことにもなると思っています。

2050年までに温室効果ガス排出ゼロを目指すのは、気候変動を止めるためには当たり前。港区が請願書に応えて温室効果ガス排出ゼロを採択したのも、ある意味当たり前だと思っています。
誰かに任せるのではなくて、みんなで考えていい街を作っていくのが理想です。自分たちの社会に興味を持って、いっしょにやろうよ、と呼びかけたいと思っています。

*東京都の小池百合子知事は、1月27日に開かれた世界経済フォーラムのオンライン会合「ダボス・アジェンダ」で、都の温室効果ガス排出量を2030年までに50%削減(2000年比)すると表明しました。

プラスチック汚染企業
トップ10

2020年、Break Free From Plasticの調査によって、世界の「プラスチック汚染企業」トップが明らかになりました。
この調査は、世界1900以上の団体と個人が参加して毎年行っているものです。2020年は、世界55カ国から346,494個のプラスチックを回収し、それらをブランドごとに集計しました。
その結果、コカコーラ、ペプシコ、ネスレが3年連続で不名誉なトップ3を独占。

タイで行われたブランド調査(2020) この状況を受けて、Break Free From Plasticの参加団体は、こうした多国籍企業に対して使い捨てプラスチック容器包装への依存からの脱却と、化石燃料使用からの撤退を改めて求めています。

今回ランクインした大手消費財メーカーはプラスチック危機について言及はしながらも、本質的な対策はほとんどしていません。「The New Plastics EconomyGlobal Commitment」で発表された報告でも、これらの企業のとりくみが進んでいないことが明らかに。

「リサイクル率を●●%に高めます」「紙素材に変えます」などといった対策の効果は限定的で、この対策自体が熱帯雨林の伐採や新たな環境問題をうむリスクもあります。いま求められていることは、使い捨て容器包装そのものから脱却し、リユース・リフィルによる販売システムを当たり前にしていくことです。

今の対策ではプラスチックごみは大幅に増え続ける プラスチック容器包装の生産は、このままでは2030年頃までに2倍に、2050年には4倍になるとも予測されています。

今回のブランド調査は、大手消費財メーカーに対して改めて現実を突きつける機会となりました。もう時間はありません。解決に向けた大きな変化を起こすには、私たち市民の力が必要です。3.5%の人たちが本気で行動すれば社会は変わると言われています。あなたにできることもたくさんあります。いっしょに企業や政府に声を上げましょう。

変わるファッション業界

左:インドネシア・チハール川に流れる工業排水。右:2012年11月24日、グリーンピースの活動家700人が80以上の都市で、世界最大のファッション小売企業Zaraに対し、衣料品とサプライチェーンから有害化学物質を撤廃するよう要求。画像は台北でのアクション。

ファストファッションの登場とグリーンピースの活動 2000年代半ば、ファストファッションと呼ばれる低価格の衣料品が登場し、服は使い捨ての時代が始まりました。
でも、たとえばTシャツ1着をつくるのに消費される水は約2,700リットルといわれています(WWF)。染色、洗浄、加工工程でこれだけの水を使うファッション産業が急速に拡大すれば、それだけ大量の水が汚染されます。

そこでグリーンピースは、世界各地で大手ファッションブランドの製品を生産する工場の排水を調査しました。
その結果、世界的アパレルブランドに商品を提供する工場で、オゾン層を破壊する塩素系溶剤、人の肝臓や内分泌腺に悪影響を及ぼすフッ素化合物(PFCs)、生物の生殖器官の発達に影響を及ぼすアルキルフェノール(APEO)などの有害物質の使用・排出が発覚しました。

グリーンピースは調査をもとに、世界的な市場をもつ大手アパレル企業に対し、2020年までに有害化学物質の使用と排出を撤廃するよう要求。
そして2018年までに、Puma、ナイキ、アディダス、H&M、Zara、リーバイス、ユニクロを展開するファーストリテイリング、ベネトン、ヴィクトリアズ・シークレットなど全世界で80社が合意しました。すべて合計すると、世界のアパレル製品総生産量のおよそ15%を占めます。
これまでの10年間、世界中でこのキャンペーンにご協力くださった多くの皆さまに、改めて感謝申し上げます。

ファッションをサステナブルに 2018年12月、2050年までの温室効果ガス排出実質ゼロを目指す「ファッション業界気候行動憲章」が発足し、H&MやPUMA、バーバリーなどが、日本からもファーストリテイリングやYKKが昨年署名しました。また、2019年8月、気候、生物多様性、海洋の保護を目指した枠組み「ファッション協定(The Fashion Pact)」が発足。グッチ等を傘下に収めるケリングやシャネル、エルメスなど、数多くの企業が参加しています。

大手ファストファッションブランドは「エコ」「サステナブル」といった変革に取り組み始めています。H&Mは、昨年10月、ストックホルムの店舗内にリサイクルの機械を導入して、顧客に古着リサイクルの工程とその価値を見える化しました。日本でも昨年の東京ガールズコレクションで「サステナブルステージ」が設けられ、環境に配慮した素材の服などが披露されました。

ファッション産業は水資源の大量使用、マイクロファイバーによる海洋汚染、炭素排出量など、世界第2位の汚染産業、環境負荷の高い産業です。いよいよ業界自らがそのリスクを認め、もう変わらなければ生き残っていけない、と感じ始めているのではないでしょうか。

Supporter’s interview 坂本拓大さん

グリーンピースをご寄付でサポートしてくださる皆さんをご紹介するSupporter’s interview。
今回は福島県にお住まいの坂本拓大さんにお話をお伺いしました。

地域でできることから地球の問題解決に 10年前の震災当時は、宮城県仙台市で塾講師をしていました。ご存知の通り、津波でたくさんの方が犠牲になり、教え子の中にもご家族を亡くした子がいました。身の回りに本当に心を痛めている方がたくさんいたので、何かできることはないかと思い、ラジオパーソナリティや音叉ヒーラーとしても活動しました。そして原発事故がきっかけでエネルギー問題にも目を向けるようになり、先輩が立ち上げた市民出資で風車を立ててエネルギーの自給自足を目指すNPOに副理事長として携わらせて頂きました。
学校教育の中では教わらないたくさんのことに触れ、子どもたちに伝えたいと思うようになりました。

現在は福島県相馬市の中学校で英語を教えています。相馬市は放射線量も低く、「原発事故」という言葉が学校の日常で出てくることはほとんどありません。街中で原発反対を呼びかける運動をされている方は見かけます。学校では、放射線教育という科目もありますが、リーフレットを配布して終わりというのが現状。そういう部分では、良くも悪くも平和だなと感じます。相馬市は復興も進んできて、地域の大人たちが協力し合って盛り上げようとしているのが伝わってくる素敵な地域です。中学校や高校と地域が連携することでより面白い取り組みができ、活気がさらに出てくると思っています。

一方で、富岡や大熊など避難指示区域になっているところの新たな施設のために必要以上に国からの資金が投入されていて、上辺だけの「安全」の名の下に、復興という言葉でなんでも進めていないか?という疑問が残る部分は多々あります。原発に近い地域の方々の中には政府の「大丈夫」という言葉を信じ、復興とは呼べない現実を目の当たりにしながらも希望を捨てずに、自分の愛した地元の復活を願っている人も多くいると聞いています。

みんなにとってやさしい世界にするためにはどうすれば良いだろうとよく考えることがあります。福島県には、風力発電所も地熱発電所もあって、海沿いにはメガソーラーがあり、自然エネルギーが浸透しています。相馬市の新しい家にはほとんど太陽光パネルが設置されていて、自然エネルギーが身近なものになっています。5年前には世界中の人が集まる自然エネルギーの会議「第一回世界ご当地エネルギー会議」というのもここ福島で開催されました。エネルギー問題について向き合うにはとても良い場所だなと感じます。

最初にも少し述べましたが、10年前、エネルギー問題に直面して、世界の問題、日本の問題を知って、そのほとんど全てが子ども時代に教わってこなかったことだということに気づきました。子どものときから自分たちが地域や社会を作っていくんだという意識を持って、すべてのことを「自分ごと」として関わりながら、自分の人生と紐づけて生きていく人が増えたら、もっとやさしい世界になっていくなぁと思います。まだまだ公教育はその点で遅れをとっていますが、子どもたちにそのきっかけをつくるために教師になりました。
現在はオンラインで先生方がつながるコミュニティ作りやセミナーを開催して、仲間を増やす活動をしています。

グリーンピースには、環境問題を子どもたちにわかりやすく教えてくれる出前教室や教材、取集したデータの共有、提供をしていただけたらなぁと思っています。これからも活動を応援しています。
(グリーンピース注:教材にもお使いいただけるような資料を現在作成中です)

世界のグリーンピースのニュースをお届け! Greenpeace Global News

2030年までに
地球上の陸と海の
30%を
保護する国際目標に日本も参加

インドネシア・チェンデラワシ湾国立公園のジンベエザメ。

インドネシア・チェンデラワシ湾国立公園のジンベエザメ。

どこの国にも属さない公海は、地球の表面の43%を占める広大な空間で、豊かで多様な生命にあふれています。公海に生息する海洋生物は、水面で炭素を吸収し、海底深くに貯蔵する役割を担っています。この働きがなければ、私たちの大気中の二酸化炭素濃度は今より50%も高くなり、世界はもはや生存できないほどの高温に見舞われます。

今年1月、1月11~12日に仏大統領府、国連、世銀の主催でオンライン・サミットが開催されました。気候変動と生物多様性対策を協議する「ワンプラネット・サミット」です。
そこで、2030年までに地球上の陸と海の少なくともそれぞれ30%を保護する、という目標を掲げる「自然と人々のための高い野心連合」が発足。日本も参加を表明しました。日本がこうした目標への支持を明らかにしたことは今回が初めてです。

グリーンピースは、2030年までに公海の30%を海洋保護区とすること(30×30)を目指すとりくみを、2019年から世界各国で展開。300万人を超える人々が署名に賛同し、人々の声を元に各国政府へのはたらきかけをしてきました。日本でも、2020年の3月に、グリーンピース・ジャパンはオーシャンアンバサダーの小野りりあんさんと共に、国内で集約した署名(当時8,245筆)を環境省に提出しました。

今回、日本政府がこうした目標を公式に支持したことはとても重要な一歩です。2021年は、5月に生物多様性条約のCOP15が予定され、また8月には世界海洋条約(BBNJ新条約)の成立が期待される最終交渉会議があります。
これらの場で日本が、世界のリーダーの一員としての責任を果たし2030年までに陸と海の30%を保護する公約の成立を実現することが期待されています。

Greenpeace Japan officeより

Announcement

二酸化炭素排出量削減のため、アンケートにご協力をお願いします。

グリーンピースのNewsletterをお読みくださり、ありがとうございます。
今号の内容はいかがでしたでしょうか。わかりにくい点、疑問点などございましたら、お気軽にお問い合わせください。詳細な調査報告書をご覧になりたい場合も、おたずねくださればご案内します。郵送にも対応いたしますので、ご遠慮なくご連絡ください。
なお、インターネットでご回答いただける下記のアンケートでは、Newsletterの今後の受け取り方として、郵送での受け取りとウェブ版のみの受け取りを選べる質問を設けております。
二酸化炭素排出量削減の観点からも、皆さまのご回答をお待ちしております。

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Member of Greenpeace Japan office

ましこゆうじ

広島生まれ。幼い頃からグリーンが好きで、被爆死した親族の大学生(小説家志望)の遺稿集を読んで、世界平和のためのNPOでボランティアを続ける中、グリーンピースに4年前に総務担当として入職。趣味の絵画イラストを、海外に日本文化を紹介しているユーチューバー(Mihoko Kawadaさん)に提供しています。ときに場末喫茶に現れる詩人の顔も。

サポーター窓口より

担当:金海・田中

今号のSupporter’s interviewでは、福島で暮らす若い方から未来志向のお話をお聞きして、とても勇気をいただきました。原発から自然エネルギーへの転換、きっと実現しましょう。

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